ようこそ、リハステージへ

今年は貴方に新たな11名の同僚ができました。
そして、多くの貴方を歓迎する仲間が、共に仕事に就けることを心待ちにしていました。

まずは、仕事を楽しんでください。

そして、一所懸命、先輩の動きを真似てください。
ひとつのところに命を懸ける、一所懸命とはそういう意味です。
ここへ至った環境も、歩んできた道もみんなそれぞれ違うから、
もしかしたら途中で疑問に感じたり、違和感を持ったりするかもしれません。
そんなとき、まず貴方の目の前にある仕事に打ち込んでください。

今、貴方の目の前にある「その仕事」、それが貴方の天職です。

石の上にも三年。
この変化の激しい時代にあって、三年間という期間はとても長く感じるかもしれません。
でも、いくら時代が変わっても、人そのものはそんなに簡単に進化するものではありません。
日々新たな発見を見出せるのか、マンネリと感じてしまうのか、それは貴方しだいです。

世阿弥元清の言う守破離(しゅはり)の「守」は、そんなに安易なものではないと覚ってください。

時間は永遠ではありません。

ほんの刹那の出来事が、貴方の一生を変えるきっかけになるかもしれません。
新たな出会い、発見、気付き、一期一会。

いつ自分の人生が終わっても悔いなく生きよ、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」、
葉隠は、ストイックなまでにわれわれにそう教えてくれています。

仕事を行っていくについてマニュアルは大切です。
ルールは守らなければなりません。
コンプライアンス遵守とはそういうことです。
当然、従わなければなりません。

しかし、それだけでは足りないのです。

物事には理屈があります。
何かを組み立てるとき、そこには必ず「論理」が必要です。
論理はとても重要です。
ところが、それだけではほとんどの場合うまく行きません。
最後のほんの少し、必要不可欠な違う要素があるのです。

われわれは戦後アメリカ的自由主義の中でそれを失っていました。

ですが、先の震災の折にわれわれは、それを再発見することができました。

他人の痛みを感じ取る惻隠の情。
花鳥風月を愛でる気持ち。
もったいないと思う心。
お先にどうぞという精神。

そういう「情緒」が、どうしても必要なのです。

仕事を通じて、そんな審美眼を磨き、感性を育むことのできる会社。

リハステージはそういう会社でありたいと思います。

パトリオティズム

あの美しい杜の都を中心として、我が国は信じ難い規模の地震禍に見舞われました。被害は東北地方はいうに及ばず、東日本全域に大きな被害が広がっています。

地震があった週末には、東京で帰宅難民という形での被害が発生しました。いろいろな情報が飛び交う中、帰宅難民となった人たちが駅通路に座り込み、電車が動くのを整然と待っているというニュースが報道されていました。これを中国の新聞が大きくトップで取り上げたのです。通路は、通行のためにきちんと真ん中のスペースが空いており、その写真が掲載されていました。中国紙いわく、「我々にはできないことだ」と。大きな災禍に対し我々日本人がそれを冷静沈着に受け止め、そして辛抱強く耐えている姿に賞賛を送ったのです。
中国ばかりではなく、かねてより、我が国では惨事が起こったおりに、略奪や暴徒化が起こらないことに海外メディアから驚きの声をもって讃えられていました。
この国では、財布を紛失しても警察に届けられ、持ち主のもとに戻ってきます。お金を支払って、おつりを数えなくてもきちんと正確に還ってくるのが当たり前という国民性です。海外では信じられない出来事として、我々日本人のモラルの高さは賞賛を通り越し、驚きとして受け止められているのです。

しかし他方、平時の報道の中には、給食費を払わない親、モンスターペイシェント、クレーマーなど権利意識の権化となった日本人が数多く出てきてしまいました。親が亡くなってもそれを伏せて年金を受け取り続けます。政治が危機に瀕しています。教育が危機的状況に陥っています。行き過ぎた中央集権制度と官僚支配が行き詰まりを迎えています。

「天罰」という表現を用いて石原都知事が糾弾を受けました。確かに不謹慎ではありましたが、世相が乱れてくると洪水などの自然災害がやってきて村が水没してしまう、私たちに古くから伝承されているおとぎ話にはそんなストーリーを持ったものが数多く見受けられます。
奇しくも、今の我が国を取り巻く環境は、まさに政治的にも経済的にも閉塞感で満たされています。阪神大震災が発生した1996年は村山連立内閣という政治的には非常に不安定な時期でした。関東大震災は第一次大戦後の特需景気が終わり、日本経済が翳りを見せていた1923年に起こっています。

今回、このような時代の中で、東北関東大震災が起こりました。

我々の持つ国民性は、自然災害に対し、自然を支配するのではなく、自然を恐れ、自然にひざまずき、そして自然を敬い、自然と同化することで自然と対していく。そんな感覚を持っています。神が森羅万象に宿っている、そう信じる国民性です。

古くからある風習で、傘傾(かさかしげ)というものがあります。雨の日に道路を歩いているとき互いにすれちがう折に、傘を相手と逆方向に傾けるという風習です。他人を思いやり、「ひとに迷惑をかけない」ということが日常の中にさまざまなところで細かに生きづいているのです。
つらい状況に陥っている人を見たら、同じように悲しみ思いやる。同情ではなく「惻隠の情」と呼ばれる感性です。元来、我々は、そういう国民性を内包させているのです。
そして、「恥」の文化です。そんなことをしたら笑われる。誰に笑われるのでもない、世間に笑われる。誰も見ていないから何をしてもよいのではないのです。「お天道」さまが見ている、そういう民度を我々は持っているのです。

今回の大災害は、何かを我々に試練として与えているのかもしれません。今一度、我々は、我々が日本人であることを思い出し、この事態に対応していくことが求められているのかもしれません。
窮地に陥った時にこそ、その人の本質が顕在化するといいます。今回、この未曾有の大惨事に対し、被災者となった人たちの、なんと清々しい態度であったことか。

「パトリオティズム」という言葉があります。父を敬い、母を愛し、子を慈しみ、ふるさとを想い、国を愛する、そういう気持ちが「パトリオティズム」です。
「ナショナリズム」とは違います。うさぎ追いし野山を懐かしみ、小鮒釣りをした小川を思いだし涙する気持ちです。しんと静まり返った名もなき古い池に小さな雨蛙がとびこむ音を聞き、たったそれだけのことに、ものの哀れを感じとる、繊細な感性をもった民族なのです
我々は我々が本来持っていた高潔で義に満ちた品格ある国家に戻らなければなりません。GDP2位の座を明け渡したことは大したことではないのです。我々が持っていた民度が失われていなかったことが確認できたことは、この大惨事の中で得た数少ない収穫です。

もし本当に「神」というものが存在するのであれば、今回、なぜ、このような多大な犠牲を求められたのかはわかりません。そして、その犠牲になってしまった人たちに対し、我々は、涙を流し、哀悼の意を表し、この国を物質的にも、そして精神的にも生まれ変わらしめる使命を帯びていると感じます。

ひとりでも多く、この災害から帰還できますよう、そして、亡くなられた方々に、深く、深く、哀悼の意を表します。

合掌頓首

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